ニュージーランドの法則?!

昨日11月22日、 福島沖M7.3の地震。最高震度5弱、最大1.4mの津波が発生しました。
今年11月13日にニュージーランドのクライストチャーチでM7.8の地震が起きた時、東北の3.11大震災を思い起こし、あの時と同じようで嫌だなあ、と不吉な予感がしました。それでこのところ、警戒していたので、昨日の朝方揺れたとき、とっさに”やっぱり、来た!”と感じてしまいました。

あれは2011年2月22日に日本人の学生の多数の死者が出たNZのクライストチャーチの地震の20日後、日本の3月9日、三陸沖で地震(M6.6最高震度5弱)が起き、関東も揺れ、その2日後、本震である3月11日の東日本大震災(M9.0、最大震度7)が起きたのでした。(実は2009年くらいからニュージーランドで起きてしばらくすると日本で大地震が起きている例は他にも何例もあるそうです。)

巷では、ニュージーランドの法則というらしいです。テレビでちょうどそのことを取り上げていて、専門家が出て来て、”たしかに太平洋プレートとフィリピン海プレートで2地点はつながっていますけれど、何百キロと離れているので、たまたまであって、これは全くの偶然というだけのことです。”と言っておりましたが、私は、地震の専門家とかの意見は最近はまったく信じる気にはなりません。
確かに今の地震学の理解では、学術的には無理なのでしょうが、何回も起きているのに無視できませんよ。
ここ数日も本震が起きるかもしれないので要注意です。どうか、起きませんように!!!
今回は津波警報で即避難、みな早かったそうで良かったです。
福島原発のことだけは祈るしかないですが。

今回も人工地震か、自然災害か、わかりませんが…。
人工地震であったら、その意図は?安倍首相がトランプ次期大統領に会いに行き、ロシアのプーチン大統領を日本に招く前で、米戦争屋の反感を買う行動をしている…からか?

ヒラリーが負け、トランプ大統領決まって良かったと思います。世界の潮流は反グローバリズムに変わってきています。
イギリスのEU離脱から、フランスの大統領選も変わっていく気配を見せているようですし、それは自然な流れなのです。
ただマスコミが正確に情報を伝えていないだけで、日本のテレビだけを見ていてもわかりません。
普通の多くの人たちの考え方が変わってきたことがだんだん明らかになっていくでしょう。
今はまだ、日本のテレビ、大新聞社がみなヒラリー側だったので、大騒ぎで焦りまくっている様子が見てとれます。
しかし近々で、今回の負け組が日本に何を仕掛けるのか、米国のジャパンハンドラーたちは今何を考えて、この先も日本に出入りして指図したり意見したりし続けるのか、今後の行動が気になりますが、とにかく、早く本国に帰っておとなしくして下さい、と思います。
(ジャパンハンドラーズはジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、その下にいるマイケル・グリーン、日本の中に入って圧力をかけていたジェラルド・カーチス、テレビにも良く出ていたロバート・フェルドマンなど。)




スポンサーサイト

地震列島の日本に原子力発電所を作るということ

以下、明治以降100名以上の死者行方不明者を出した地震、津波です。

 年代    名前    死者行方不明者数
1872  浜田地震     550
1891  濃尾地震    7273
1894  庄内地震     726
1896  明治三陸地震 21959
1896  陸羽地震     209
1923  関東地震  105000余
1925  北但馬地震    428
1927  北丹後地    2925
1930  北伊豆地震    272
1933  昭和三陸地震  3064
1943  鳥取地震    1083
1944  東南海地震   1223
1945  三河地震    2306
1946  南海地震    1330
1948  福井地震    3769
(1960 チリ津波     142)
1983 日本海中部地震   104
1993 北海道南西沖地震 2090
1995 阪神淡路大震災  6437

こうやって見てみますと、大地震の起きる時期が一塊になっていることに気がつきます。
1890年代は4回あり、次は1920年代に3回、そして1940年代の太平洋戦争のさなかに5回立続けに起きています。(1894年は日清戦争、1941~45年は太平洋戦争と地震と戦争が重なっているのはなんとも不思議ですが。)


そして驚くべきことに、50年代~80年代はほとんど大地震がない静穏な時期だったと知ることができます。
戦後の復興期、日本の経済の高度成長期のころでもありました。

そして、このころがちょうど原子力発電所が作られたはじめた時期だったのです。
最初に運転が始まったのが1970年、以後、各地の原子炉が運転を開始しているのです。

以下、原子炉の運転開始時です。

続きを読む»

地震、津波の歴史と防災

大惨事になってしまいました。
一人でも多くの命が助かりますように。
一日でも早く避難された方が暖かい場所で、安心できる状態になれますように。

日本は地震大国である、と知っているつもりで、
あまり詳しく知ろうともせずに暮らしていたことに気がつきました。
阪神大震災(1995年)の時、怖さを知り、防災グッズをそろえ、
家具に転倒防止器具をつけ、防災リュックを作り、と備えていたのですが、
あの時は、ただ自分の周りの安全のみに気を配っていただけなのかと思います。
もう一度気を引き締めて、日本の人々がこれ以上災害に会わないようにしなくては、と心から思います。
日本は地震や津波にたびたび襲われていた過去を知らなくてはならないと思うのです。

津波災害――減災社会を築く (岩波新書)津波災害――減災社会を築く (岩波新書)
(2010/12/18)
河田 惠昭

商品詳細を見る



新地学 (チャート式シリーズ)新地学 (チャート式シリーズ)
(1987)
力武 常次

商品詳細を見る



地震には直下型とプレート境界型地震があり、今回はプレート境界型です。
三陸沖の日本海溝は太平洋プレートがもぐりこむ場所で、年に10cmずつ西へ押し込んでいるのですが、
その固着面がストレスに耐え切れなくなり、一気に跳ね上がったのです。
その深さはなんとエベレストの高さ8000mもあります。固着面がぴったりとくっついてなかなかはがれない面のために、起こった時は巨大なエネルギーになるようです。

三陸の大津波がどのくらいの頻度でやってきたのでしょうか。
記録に残っているもので、
 名前         西暦
貞観の大津波      869年
慶長の三陸津波     1611年
延宝の三陸大津波   1677年
宝暦の三陸大津波   1763年
安政の三陸大津波   1856年
明治三陸大津波     1896年
昭和三陸大津波     1933年

この間隔を調べてみると、最初は742年もありましたが、
その後は66年、86年、93年、40年、37年という間隔です。
今年2011年は昭和の大津波から78年の間隔が空いていました。
こう考えると、三陸の大津波はいつ起こってもおかしくないものでした。
もちろん、それを想定して、岩手県釜石市など立派な津波防波堤が作られていましたが、それも壊されてしまい、役に立たなかったのです。

河田教授は本で、津波災害の避難の仕方について詳しく書かれています。
避難は徒歩が基本で、普段からの訓練はいざと言う時の心の安定にもつながるので重要。
歩けない人などは車で、前もって決めておくと良い。
避難するとき、大声で回りに教えながら、走るのが一番で、ほかの家に寄って声をかけたりはしない。
ほかの家に寄っても結局逃げた後だったということが多く、時間がかかってしまう。
川は河口から登るので、川から遠ざかる方向へ逃げる。
津波になる時は地震の揺れは長い。長かったら即逃げ出すのが良い。

*****
日本では、西暦416年の河内の地震を始めとして、400を超える地震災害があったことがわかっています。
日本はまさに地震列島と呼ばれる所以です。
外国で中国、トルコ、イタリア、ペルーが多く、1755年、ポルトガルのリスボンでは6万人の死者を出した災害や、中国の1976年の唐山地震は大きな被害がありました。

関東の大地震は
安政江戸地震(1855年) 江戸直下型 震度6強
 関東大震災(1923年) 神奈川県三浦半島 鎌倉~小田原 相模湾岸 震度7、東京 震度6

江戸時代から大正の地震に68年の間隔があります。そして今は88年目なのでやはり要注意です。
関東大震災の死者は火災が主だったために膨大な被害者が出てしまったのですから、それを教訓にしなければならないです。

大地震

10日にあんな記事を書いたあと、11日に
大地震、津波、世紀の大惨事になってしまいました。
東京で、震度5強を感じ、私は震えがしばらくとまりませんでした。
胸もドキドキし、ふらふら、今でも時折揺れているようになります。
被災地、避難した人たちのその後のたいへんな生活を見聞きすると、
心労、苦労は並ではないと、察するのに余りあります。
早く物資が行き渡りますように。住む場所ができますように。
一人でも多くの方が無事で助かりますように。


津波の2次災害、福島第1原発の冷却装置故障による水素爆発。
ただただ、今はその収束を願うばかりです。
東電の方、東電の関係会社の方、自衛隊の方、警察の方、
今の危機を乗り越えるため、命をかけて頑張ってくださっている方々。
本当に感謝します。

使用済み核燃料は、何年もエネルギーを費やして器械で冷却し続けなければならないんですね。
真っ先に上からホウ酸や水をかけなかったのは何故なのかずっと疑問でしたが、、
新聞によると、そういうことをすると、廃炉になってしまうから、だったようです。
修理してまたすぐに再開できるという自信があったのでしょうか。それだけ、原発装置への信頼、技術者たちのプライドがあったに違いないとは思いますが、そのへんはもっと早く決断して欲しかったです。

その議論はともかく、今は政府がどうのと文句をいうつもりはありません。
今はだれが総理でもそう変わらないと思います。
東電は民間会社とはいえ、独占的に国民の電気を供給する立場なので、ものすごい権力を持ってますよね。
官僚のような感じがします。現場のきつい仕事は下請けの子会社にさせているのだろうし。
それでも、今は私は日本の中であの人が悪いとか、そういうのはやめたいと思いました。
だれも責めたくないのです。いがみ合いたくないです。
一人の日本人として批判する立場にはもうなれません。
もちろん、陰謀論も考えません。

117カ国の支援を申し入れがあり、今17ヶ国の国から救助隊が来ています。
本当に嬉しいことでその話をテレビラジオで見聞きするたびに胸が熱くなり涙が出ます。
ネット右翼さんがさかんに韓国、中国を嫌っているようですが、中国、韓国、ロシア、台湾と近くの国が真っ先に支援を名乗り出てくれたではないですか。そして暖かい言葉をかけてくれました。ロシアも天然ガス、韓国もホウ酸を送るそうです。ありがたいじゃないですか。本当に困った時に助けてくれる友人こそ真の友人です。もちろんアメリカ、イギリス、スイス、フランス…当たり前ですが、欧米の国々もすべて同じ人間の情が通っているんだなと思いました。

日本の中もそうですが、世界もひとつになれる時ではないか、と思います。
プロフィール

newten

Author:newten
2008年9月リーマンショックの金融危機から日本の政治経済に目覚めた普通の主婦です。今までB層とバカにされていたと気がつきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード