地震列島の日本に原子力発電所を作るということ

以下、明治以降100名以上の死者行方不明者を出した地震、津波です。

 年代    名前    死者行方不明者数
1872  浜田地震     550
1891  濃尾地震    7273
1894  庄内地震     726
1896  明治三陸地震 21959
1896  陸羽地震     209
1923  関東地震  105000余
1925  北但馬地震    428
1927  北丹後地    2925
1930  北伊豆地震    272
1933  昭和三陸地震  3064
1943  鳥取地震    1083
1944  東南海地震   1223
1945  三河地震    2306
1946  南海地震    1330
1948  福井地震    3769
(1960 チリ津波     142)
1983 日本海中部地震   104
1993 北海道南西沖地震 2090
1995 阪神淡路大震災  6437

こうやって見てみますと、大地震の起きる時期が一塊になっていることに気がつきます。
1890年代は4回あり、次は1920年代に3回、そして1940年代の太平洋戦争のさなかに5回立続けに起きています。(1894年は日清戦争、1941~45年は太平洋戦争と地震と戦争が重なっているのはなんとも不思議ですが。)


そして驚くべきことに、50年代~80年代はほとんど大地震がない静穏な時期だったと知ることができます。
戦後の復興期、日本の経済の高度成長期のころでもありました。

そして、このころがちょうど原子力発電所が作られたはじめた時期だったのです。
最初に運転が始まったのが1970年、以後、各地の原子炉が運転を開始しているのです。

以下、原子炉の運転開始時です。
1970年 敦賀1号、美浜1号、実験炉のもんじゅ、
1971年 福島第一1号、
1972年 美浜1号、
1974年 福島第一2号、高浜1号、島根1号
1975年 高浜2号、玄海1号
1976年 美浜3号、福島第一3号
1977年 伊方1号
1978年 福島第一4号、浜岡2号
1979年 福島第一5号、大飯1号・2号
1981年 玄海2号
1982年 伊方2号、福島第二1号
1984年 川内1号、福島第二2号、女川1号
1985年 福島第二3号、高浜3号・4号、川内2号、柏崎刈羽1号
1987年 浜岡3号、福島第二4号、敦賀2号
1989年 泊1号、島根2号
1990年 柏崎刈羽2号・4号   
1991年 泊2号、大飯3号
1993年 柏崎刈羽3号、志賀1号、浜岡4号
1994年 玄海3号、伊方3号
1995年 女川2号
1996年 柏崎刈羽6号
1997年 柏崎刈羽7号、玄海4号
2002年 女川3号
2005年 東通1号、浜岡5号
2006年 志賀2号 
2009年 泊3号

と、年代別にあげてみましたが、70年代80年代はすさまじい勢いだったと驚きます。

石橋克彦氏(神戸大学 都市安全研究センター教授(2005年当時))が衆議院予算委員公聴会にて
話をされた内容はまさにそのことでした。

原子力発電所が作られた頃は

たまたま巡り合わせた日本列島の地震活動の静穏期に合致していた。
ところが現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつある。」
ということは、ほとんどの地震学者が共通に考えております
…とおっしゃっています。

そして
浜岡原発が被災した場合、何万、何十万の人が亡くなる可能性があり、首都がなくなるほどの規模の災害が起こる。人が住めなくなる可能性もある。
…と警告しておりました。
さらに
日本の災害時は世界各国から救援が来るだろうが、のちに日本は各国から批判されることになる。と予測していたのです。

先生は
日本列島にいる限り、地震と共存する文化を確立しなければならない…と結んでいました。

5、6年前にこうして警告を発していたにもかかわらず、何ゆえ無視されてきたのでしょうか。
私は大地震は今回だけでなくまだ続く可能性もあるので、安心できないと思います。
早急に日本は防災、災害対策をしなくてはいけません。

浜岡原発の危険性を専門家がこれほどおっしゃるっているのだから、国家も国民も真摯に耳を傾けなくては!
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2008年9月リーマンショックの金融危機から日本の政治経済に目覚めた普通の主婦です。今までB層とバカにされていたと気がつきました。

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