戦争中の地震の疑惑

66年目の終戦記念日です。
第2次世界大戦、太平洋戦争についてネットで調べました。
1941年12月8日の真珠湾攻撃から1945年の8月までの3年9ヶ月、続きました。
44年、サイパン島守備部隊玉砕で4万人の兵と8000人の民間人が戦死。
同年、グアム島守備部隊玉砕で2万人が戦死。レイテ沖海戦で海岸壊滅。
45年、硫黄島玉砕で2万人戦死。
同年、3月10日、東京空襲で10万人が亡くなり、焼け野原に。
同年、沖縄上陸戦で10万人の民間人が亡くなる。
同年、8月、広島に原爆投下、20万人亡くなる。
      長崎に原爆投下、14万人亡くなる。
   8月15日無条件降伏

日本人の犠牲者は330万人で非戦闘員は110万人。
各地では2000万人が犠牲になったと言われています。
比較すると、アメリカ軍の戦死者は9万人だそうですから桁違いの戦死者です。

前に記事に書きましたが、
以前、地震の被害を調べていた時、戦争中に立続けに4回も大震災があったと知りました。
1943年9月 鳥取地震、死者1083名
1944年12月 東南海地震 死者1223名
1945年1月 三河地震 死者2306名
1946年12月 南海地震 死者1330名
(1948年6月 福井地震 死者3769名)

たしかに大地震は続くことがあり、1923年の関東大震災のあとも2年おきに災害地震が起きていたこともありますが、
戦争中でただでさえ国が大変な時に自然災害が追い討ちをかけていた、
これがもしかしたら地震兵器で、攻撃の一種だったのではないかとさえ、思えるほどのタイミングであることは確かでした。

最近NHK名古屋製作の シリーズ市民たちの戦争「封印された大震災~愛知・半田」を取り上げているサイトで、紹介されていたことは、驚くべきことでした。1944年の東南海地震のあった場所はまさに軍需工場で、半田の飛行機工場が壊滅的な被害を受けたのです。その時の様子を語った方が、地震のあとに米軍機が落としたビラを読むと、毛筆で、
「地震の次は何をお見舞いしましょうか」と書いてあったというのです。
そしてすぐに名古屋の航空機工場に空襲があったそうです。

地震があったことを当時の国民があまり知らなかった、かん口令をしいて知らされなかったということは確かで、私も今年87歳の父にこの間、「戦争中にあった大地震のこと知ってる?」と聞いてみました。
「そういえば、関西方面に向かって列車に乗っていた時、橋が地震で壊れていたので不通になっていたと聞いたな」と語っていました。ま、この程度しか覚えていないような感じでした。地震のニュースなんて当時はほとんどなかったのでしょう。
この愛知の地震は戦争中のため、アメリカに知られるとまずいと思ったために封印されたのでした。
しかしアメリカにとって、そんなことは無駄でした。空撮でしっかりとその被害状況は把握されていたのです。

取りようによっては、「地震の次は何を…」と言ったのは、”地震は天災だったが、次はこちらが…”という風にとることもできます。しかし取りようによっては、地震は攻撃だった、とも考えられます。
戦闘機を作る工場を狙ったのですから。
人口地震は実験で使われているので、できないことではないわけです。

自然災害の中に混じって起こされた人工地震の存在がないとはいえません。
戦争中の4回の地震に人工的に起こされた地震があったとすれば、
今回の東日本震災や、阪神大震災もどうなのか、と考えてしまうわけですね。
だけど、それは理由が希薄なので、どうにもわかりません。

ただ、経済も落ち目の日本、人口減少してる日本を痛めつけても、
もっと弱るだけのことで。
可能性としては、政権交代してアメリカの言うことを聞かなくなったため、
もとに戻そうとしたのか?おどしか?
まったくわかりませんけれど、色々想像してしまいました。

とはいえ、なんとなく…今回は自然災害の可能性のほうが大きいと私は、思います。
地球は変動期、火山が各地で活発化していますし、
ポールシフトが迫っているかもしれないとも思いますし、
太陽フレアが激しいという事実もあります。
宇宙規模の変動の可能性がいろいろあるからです。


スポンサーサイト
プロフィール

newten

Author:newten
2008年9月リーマンショックの金融危機から日本の政治経済に目覚めた普通の主婦です。今までB層とバカにされていたと気がつきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード