「機会の均等」と「結果の平等」

閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書)閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書)
(2008/07)
金子 勝

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複雑な専門用語ばかりで、開いたら、一気に読む気がなくなるような経済本の多い中、
この金子勝氏の本はとてもわかりやすく、優しくいい感じの文章なので読みやすく、そしてかなり勉強になりました。
以前から気になっていた新自由主義派のもっともな考え、「機会の均等」を目指す社会について、どの点がおかしいのかが、書かれていたので、すごく納得できました。
その内容を一部、要約して抜粋させていただきます。

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フランス革命では『自由・平等・博愛』が旗印になりましたが、
「自由」と「平等」は両立しない感覚があります。
「機会の均等」と「結果の平等」が矛盾する、どこかこの2つは両立しないのです。

市場原理主義の新古典派(構造改革派)はどちらかというと、
「機会の均等」さえ保証すればいいと言っています。(みなが同じスタートラインに立てること)
結果の平等を目指して所得の再分配をすると、能力があったり、努力している人が怠けている人や能力のないものにお金を奪われてしまう、足を引っ張られてしまう、経済に活力が奪われてしまうという考えです。

でも、この考えには「時間」という考えがないのです。いったん、平等を壊すのはすぐにできますが、戻すのに時間がかかってしまいます。また政策がもどればすぐに戻るようなものではないのです。いったん出来た格差は戻れないのです。

北欧諸国の例から、長い目でみると「結果の平等」を重視すると、「機会の均等」を保証するという結果になりました。

新古典派が「機会の均等」を実現しようとしたら、相続税は100%取らねばならない、という論理にな
ります。そうしないと世代にわたって、「機会の均等」が保証されないからです。皮肉なことにマルクス
主義と同じ結論にいたることになってしまうのです。

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本当に皮肉なものです。
まるで相反する、反対方向へ進んでいるはずの思想が同じ政策にたどりついてしまうとは!

やはり金子氏は新古典派の市場原理の考えの「機会の均等」を目指す社会政策はあまり良くないだろうという結論だと思います。
お金のある人が、努力しない人、怠けてる人にまで金をあげたくない。なんだか狭量な考え方で嫌な感じがします。自分はこんなに努力してるんだから、報われて当たり前だというわけでしょうが。
しかし…、能力があるとかないとか、ひとことでいいますが、どういうことでしょうか?
ひとつのものさしで図った場合の能力のことなのか、つまり偏差値だったり有名大学に入ったりなどもあるでしょうし、たまたまその人の能力が生かせない場に居る時、その人は無能になってしまうけれど、別の場では能力があるということになるし…。運がいいとか、悪いとかそれぞれで変わっていくものですよね。
そして、一度失敗したら這い上がりにくい社会になってしまうため、「機会の均等」はスタートラインだけのこと、途中から這い上がることが難しくなる厳しい社会になるのではないかと思いました。

相反すると思われた思想も極端に走れば同じになっていくんですね。やはり単純にワンフレーズとかワンワールドではありえない。右か左かではなく、複雑で多様な価値観こそ、必要だと思います。このことはまた次回でつづけます。

ワンワールドをめざす人たちがいますが、彼ら(グローバル化を進める人や陰謀論でいう闇の権力者)は多様性、多様な民族などを認めたくないのでしょうね…。
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2008年9月リーマンショックの金融危機から日本の政治経済に目覚めた普通の主婦です。今までB層とバカにされていたと気がつきました。

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