「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」

乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書)乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書)
(2005/11)
橋本 治

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この本は2005年に書かれてるので、多少ずれはあるものの、なんとなく題名に惹かれて読んでみた。
今はどうしたらいいかわからない状態だという。

20世紀は皆何か正解があると思って、動いてきたが、今は実は正解はなにか分からない、ということが分かってしまった。今は乱世だが、15世紀から17世紀の戦国時代の乱世と違って、「知の乱世」だという。

民主主義というものは善だと思ってきたが、主権者が国民一人ひとりであるからにはそれぞれがああだ、こうだと考えなくてはならないという点において、とても民主主義ってめんどくさいものだと思う。誰かが都合よく「支配者」なんてものになってくれて、そういうめんどくさいことを肩代わりしてくれるということはもうありえない。
「支配者」というと、すぐに「支配される恐怖」を感じてしまうけれど、一方では、「支配させちゃうと楽」という考え方もある。でも、それももう通用しない「乱世」である現在。

我々は民主主義に慣れてない。

勝ち組、負け組なんて言葉が流行ったが、もし、勝ち組と負け組がいるとしたら、今の不景気を勝ち組が何かするものだが、何もしていないようだと。
それに実際は負け組というのは、どこにもいないのではないかと考えた。
実は日本経済そのものが負け組になってるでは?と橋本氏は言う。

そもそも、負け組勝ち組の2分法の考え方は、投資家とその周辺にいるエコノミストと言う人が決めたのだと。

経済というのはたった悲しいかな、一つの方向性しかもたないもの。
それは「利潤を得る」という方向性だけ。
そして、経済とはただ循環することである。
経済が破綻することを考えていないエコノミスト。
経済が破綻するかもしれないが、絶対に破綻しないという前提で、そうなったらどうなるのか全く分からないのがエコノミスト。

****
実は読んだだけではよく理解できない、私の頭ではなかなかついていけない部分がたくさんありました。
なので、わかりやすいところだけを拾って書きました。

今までは、一定の価値観を持って、突っ走ってきた人間の社会、今は価値観が変わってきて、この先、何をしていけばいいのかわからなくなってきた状態になってしまっているということでしょうか。

社会主義だの、自由主義だの政治思想が流行って、各国が採用してみたものの、どちらがいいとか正しかったということは分からなくなったのが今かもしれません。
これさえすれば、社会は平和で皆が幸せで豊かに暮らせるというものがある、と信じることができなくなってきたのでしょう。
物質的な豊かさが幸せのシンボルだったが、日本はすでに成熟してしまった。

小泉純一郎が出てきたとき、カリスマ性があり、強い指導力があり、結局この人に任せていればなんとかなるのではと幻想を抱かせたから支持されました。それはあきらかにペテンでしたが。そういうものに飛びつく国民であるという証明にもなってしまいましたね。
日本は今までの長い歴史の中で主従関係や、封建制度で、強い支配者について行くと楽だという被支配者の気持ちを持ってしまっているような気がしますが、どうなんでしょうか。
もちろん、それだけじゃないですが、人間というものは、信頼でき頼れる存在があったら、その下について忠誠を誓って働きたいと思ったりしますよね。
いやいや人間だけでなく野生の動物社会だってそういうのありますし。サル山のボスでもそうです。
あ、でも鳥の群れ、あれは誰が先頭のリーダーでもないそうですね、ちゃんと編隊組んで飛ぶんですよね…。
話がずれましたが、人間もサル山と変わらないんですかね。
個人主義とか自己責任論とか、動物としての人間、ロボットじゃないんだから、機械じゃないんだから、無理なんですよね。
やっぱり人はある程度小さな単位で助け、守りあいながら、群れて暮らすのがいいんじゃないでしょうか。わずらわしいとか、色々あるのですけど、ある程度のしばりが必要だなとも最近思います。
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2008年9月リーマンショックの金融危機から日本の政治経済に目覚めた普通の主婦です。今までB層とバカにされていたと気がつきました。

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